Interview【前編】
竹村良訓さん|陶芸家
オリジナルの釉薬から生み出される、カラフルな美しい作品で人気を博す陶芸家・竹村良訓さん。このたび7nanaとのコラボで、竹村さんの作品をモチーフにしたデザインのネイルシール3種が誕生しました。これまでもアパレルや詩など、多彩なジャンルとコラボレーションしてきた竹村さん。前後編でお届けするインタビューの前編では、竹村さんが作品作りにおいて大事にしていることや普段の活動についてうかがいました。
取材・文:岸野恵加
写真・動画:石川昂樹
今も「楽しいままに作る」マインド
―まずは竹村さんのことを詳しくご存知ではない方のために、経歴からお話を聞かせてください。陶芸のお仕事を主軸としながら、さまざまなことに並行して取り組まれていますよね。
そうですね。いまだに何屋なのかよくわからない状況で(笑)。実家が大工をやっているので、僕もトンカチを手に屋根に登って家を建てたり、アトリエで陶芸教室をやったり、文化財の保存修復を行ったり……といろいろなことをやってきたんですけど、メインは陶芸家としての自分の制作です。
―卒業された武蔵野美術大学での専攻は木工で、陶芸ではなかったんですよね?
はい。陶芸はサークルで取り組んでいました。2年生の時、友人が入っていたのをきっかけに、完全に趣味の位置付けで始めたんです。木や漆ではない素材で何かを作ってみたいという欲求があって。学ぶというよりは、楽しいから作りたいというモードでしたね。今もそのときと同じく、「楽しいままに作る」というマインドが続いている感覚です。卒業後は東京芸術大学の大学院に進んで、文化財の修復について学んでいました。
―なぜ木工とも陶芸とも違う道を?
ものづくりをしていく中で、古い作品を参考にすることが多かったんです。当時は日本や中国、韓国の古い焼き物を見てインスパイアを受けて、自分なりに作るということを始めていた頃で、今の作風とは全然違うものを作っていました。興味半分のところはありましたけど、古いものへのリスペクトから、文化財修復を学んでみようと思って。自分の制作にフィードバックできる部分もあったので、得たものは多かったと思いますね。今は陶芸の仕事で忙しくて、なかなか修復の作業までは手が回らなくなってしまったんですが。
―なるほど。そして院を卒業してから間もなくして、陶芸家としての作家活動を始められます。
家にろくろ、窯、テーブルを置いて、小さなアトリエを構えました。その頃にはもう、自分の描くイメージを一番濃く形にできるのは陶芸だという実感がありましたね。陶芸をメインとして、ほかの作業は陶芸に還元できるものがあればというサブ的な感覚で取り組んでいました。そんな中で次第に、釉薬を自分で作って、オリジナルの色を1つひとつ生み出していくということがすごく楽しくなっていったんです。
釉薬作りは時間がかかるけど、毎回違うことをしたい
―そこから現在に至るわけなんですね。先ほど「以前は今とは違う作風のものを作っていた」とおっしゃっていましたが、今の色とりどりの作風に行き着いたのはいつ頃なんですか?
7、8年くらい前、30歳を過ぎたあたりから次第にシフトしていった感じでしょうか。それまではアジア圏の渋い焼き物に共感していたんですけど、幅広く展示などを見るようになったら、ヨーロッパや北欧の古い焼き物が視界に入って。「すごく面白いな」と興味を持ったのが始まりです。ルーシー・リーやベルント・フリーベリというミッドセンチュリーの作家たちの作品を見て、「どういう材料で、どう作ったら、この色が出るのか」と研究していました。あとクラフトマーケットで他の作家の作品や、それを求めにくるお客さまの雰囲気を見て、「やっぱりカラフルな作品は日本ではあまりないんだな」と実感して。自分は色作りが好きだから、思い切って踏み出してみました。思い立ってもなかなかすぐに手をつけられないのが、釉薬作りの難しいところなんですが。
―それだけ手間がかかるということでしょうか?
はい。1色作るだけでも3〜5ヶ月、長いと2年くらいはかかりますから。徐々に徐々に進めていく作業ですね。
―そんなにも! そこまでの時間をかけてでも釉薬づくりに取り組むことにしたのは、大変さを上回るやりがいや楽しさがあるからですか?
そうですね。もともと理科や数学が好きで、実験気質なんですよ。自分がいいと思った色を試行錯誤して作り出すことにすごく楽しさを感じるし、そういう作業が苦にならずできる気質なんだなと思っています。
―頭の中に描いている色を、そのまま形にするまでの過程が楽しい、と。
色もそうですし、艶感や質感も含めてですね。もちろん失敗も多いです。窯で焚くのに一昼夜かかって、2日冷まして……という工程なので、テストピースの仕上がりを見られるのは数日後だったり。窯のキャパシティにも限界がありますしね。だから常に好きなだけ試せるわけでもなくて、同時並行で何色もテストを繰り返しています。皆さんが陶芸に対して持っているであろうイメージとはかけ離れた作業だと思いますが(笑)、僕にとっては色を生み出すということが自分のオリジナリティであり、やりたいことにつながっていたんだと思います。
―その作業は今もずっと継続して行っているんでしょうか?
そうですね。僕の作品は単色使いをあまりしていなくて、色の上にまた色を掛け合わせたりということも多い。さらに表現するキャンバスが平面ではなく立体なので、その形自体にどういう色が合うのかを、毎回手を変え品を変え実験しています。再現性はなくていいという考え方で、同じ作品は基本的には作っていないですね。それはわざと同じものを作らないのではなくて、僕が毎回違うことをしたいがために、結果1個も同じものが生まれていないということになっているんだと思います。
―同じものを作ろうと思っても作れない、という面も?
それもあります(笑)。「同じ器を10個作ってほしい」という依頼はあまり受けたくないですね。一般的な職人気質の陶芸家は、シリーズのデザインを作ってそれを安定供給したり、色がずれないように気を配ったりするんですが、僕はあまりそういう考え方を持っていないんです。
1点ものの面白さは、「これがいい」という明確な基準がないこと
―だからこそ「この世に1つ」という希少性がある点も、ファンの方の心をくすぐっているんでしょうね。ちなみに、竹村さんは年間で5000個近くの器を制作されているそうですが、これは陶芸家としてはかなりイレギュラーな数だそうで……。
あはは(笑)、そうなんです。でも別にノルマを課しているわけではなくて。自然にやっていると休まないタチなので、自然とそうなっている感じです。休みは年間で数日ですね。
―それは、とにかく作りたいという衝動に動かされているから?
そうですね。陶芸は仕事なんですけど、趣味みたいな感覚なんです。作ることがひたすら好きで、これ以上に面白いものがないという。シンプルにそれだけですね。1点ものの面白さは、「これがいい」という明確な基準がないこと。自分がいいなと思ったものでもそれがすぐに売れるわけではなかったりして。制作する際の自分の中でのハイライトは、窯から出した瞬間に「なんかいいのができたな」と思えることなんです。その瞬間のためにやっている感覚。その先の、どう見せるか、お客さまにどう伝えるかなどは、扱ってくださるお店の方にお任せしている部分が大きいですね。


―なるほど。商売人目線で考えたら「人気の型を多めに作ろう」と考えそうなものですが、そうはしないと。
はい。Instagramで素敵な人が紹介してくれたりすると、そのアイテムへの需要が高まることがあるんですが、そういう時は逆に同じものを作らないようにしています。違うものを作って、ほとぼりが冷めるのを待つ。変な話ですけど、転売する人もいたりするので。そういう理由を抜きにしても、需要に合わせて制作するということはあまりしていないですね。自分の作りたいものもどんどん変わっていくんです。2年前の作品をふとインスタで見ても、「今興味がある色合わせとは違うな」と感じたりしますし。
―心の向かうままに制作をされているんですね。ちなみに昨年の秋に事故で腕を負傷されたそうですが…現在も制作作業に影響が出ているんでしょうか。
右肩が外れ、骨が折れて、長い手術をしました。術後もまったく動かせなかったので、しばらく制作どころではなかったんですが、サポートしてくれる弟子やお手伝いしてくれる人のおかげで、作りかけのものを焼き上げたり打ち合わせをしたり、止まらずに動き続けることができました。1月くらいからろくろを引けるようになり、本調子の半分くらいまでは戻ってきた感じです。怪我の間に、やりたいことや作りたいアイデアが沸いたので、それはよかったですね。
―アイデアがむくむくと貯まっていったんですね。
そうですね。あと、ろくろを使えない間に、シート状の粘土から作っていくたたら成形という技法を取り入れて、新しいイメージの作品を作ってみたりもしました。それも新しい自分の技になったし、いろんな研究も進められたので、怪我をしても楽しく陶芸はできていたし、得るものもあったと思っていますね。
後編では竹村さんが、7nanaプロデューサーのネイリスト・上原渚と対談。器とネイルの共通点や、コラボデザインの楽しみ方を心ゆくまで語り合いました。
後編:「器とネイルの共通点」

2003 武蔵野美術大学 工芸工業デザイン学科(木工専攻)卒業
2005 東京芸術大学大学院 保存修復学科(工芸)終了
文化財修復を修め、同時に陶芸学科で古陶磁の研究・復元制作にも努める
在学中より、漆芸技法の応用による陶磁器・漆器修復の仕事をはじめる
2008 陶芸教室「陶房 橙」を開く
